外科医10年目からの海外臨床留学

グータラなのに志だけは高い小児外科医の海外臨床留学の記録です。主に気合いと乗りと運で今まで生きてきてます。臨床留学先としてのオーストラリアの紹介。英語の勉強法や影響を受けた本などの紹介もしていく予定です。好きな言葉は「大器晩成」。2児の父です。emailはtkghiramatsu@gmail.comです。

海外臨床留学最初の3ヶ月 憂鬱じゃなければ仕事じゃない!

臨床フェロー1年目を振り返る

小児外科臨床フェローとしての2年目も、すでに5ヶ月がたちました。

最近の2ヶ月間は、とにかくCOVID-19の影響により、職場環境もだいぶ特殊な状況が続きましたが、2週間前からようやく待機手術も8割がた復活し、業務も通常の4チーム制に戻りました。

 

元の形で再び働き始めて最近感じたことは、自分がだいぶこの環境に慣れてきた、ということ。日々の判断やConsultantとのコミュニケーションも、あまりストレスなくできるようになってきたな、と、やっと思えるようになってきたようです。

 

思い返せば、昨年の1月からオーストラリアで臨床フェローを開始して最初の3ヶ月ほどは、とにかく慣れないことだらけで、本当に大変だった気がします。

 

今振り返って、最初の頃大変だった(一部現在進行形)ことは

 1. もちろん英語でのコミュニケーション、特に電話

 2. 一番辛かったのは電話でConsultantに急患の相談をする時

    3. そして朝の申し送り

 4. 意外と辛かった(今でも)のは、逆に医療以外の雑談

 

まあ突き詰めれば全てコミュニケーションなんですけどね。

 

コミュニケーション以外では、まあ同じ疾患でも日本とアプローチの方法が違ったり、血液検査や画像検査のハードルが高かったり、といった、日本とオーストラリアでの医療自体の違いにも結構苦戦した気がします。あと日本で馴染みのない疾患、例えばPilonidal sinusとか、あとCystic fibromaとか、あと重症のやけども日本ではほとんど見てなかったので、それなりに苦戦しました。

 

とにかく、何いってるかわかんないし、患者の相談しているうちにボスがイライラし始めてるのがわかるし、たまにわけわからない疾患あるし。てな具合で最初の数ヶ月は、病院に向かう朝の電車の中でいつも憂鬱になっていました。

 

そのころは、幻冬舎の見城徹さんの「憂鬱でなければ仕事ではない」というフレーズを自分に言い聞かせ、「この憂鬱な毎日こそ、自分を成長させてくれている、これこそ自分の求めていた環境だ」と、呪文のように唱えて日々過ごしていたのを今でも鮮明に覚えています。

 

朝の申し送りでの試練

 

最初の頃の苦悩の一つが毎朝の申し送り。

 

僕が働いているCHWの小児外科では、朝7時から申し送りがあり、その後各チームごとに病棟回診という感じです。

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朝の申し送り風景。この日はたまたまのんびりした感じでドーナツ食べながら。忙しい時はもっとピリピリしてる時もあります。

朝の申し送りでは、当直帯の新規入院や、入院患者のアップデートがあればそういった情報も、各チームへ。基本的に、前日の当直のConsultantが属するチームに新規入院が全て入るので、 自分のチームのConsultantがオンコールだった日の翌日は新規入院の処理で忙しい。今までに最多は平日の一晩で18人の入院

 

そう、Traineeは基本、Consultantに使えるしもべなので、その日の忙しさも、Consultantの仕事内容によって決まります。今のチームでは、一人のボスが毎週月曜日に午前午後のオペ枠を持っているので、週末にうちのチームのボスがオンコールの時は、その明けの月曜日がかなり忙しい!

 

で、今でこそ申し送りで必要な情報を入手して、確認すべき事項もその場で確認して、その後の回診がよりスムーズに行くようコミュニケーションを取れるようになってきましたが、最初の数ヶ月はかなり辛かったです。

 

写真にもあるように、みんなが持っている入院患者一覧に、新規入院患者の情報を書き込んでいくのですが、はっきり言って最初のうちは英語についていけないので大変でした。どうやって対処していたかというと、単純に、朝早く来て先にカルテ読んでおいて、カルテから分からなかったところや確認すべき事項に焦点を絞って申し送りを聞くようにしていました。去年の途中からは、外部からでも電子カルテにアクセスできるようになったので、行きの電車で電子カルテを開いで情報収集するのが日課でした。

 

当然、自分が当直明けの時は、前の日に入院した患者さんについて簡潔に、そして必要十分な申し送りをしないといけないので、これは最初の頃は当直中に紙に書いていうことをまとめたりしながらやっていました。

 

英語での症例提示

申し送りにしても、ボスへの相談にしても、どれだけ簡潔に、そして必要十分に患者の情報を伝えるか、ということで、これに関しては、おそらく日本語と英語の文章構造の違いという根本的な問題が苦戦の原因だった気がします。

 

ま、簡単にいってしまえば、英語ではとにかくゴールを先に相手に提示してあげるのが大事です。つまり結論から。

 

例えば、

日本語だと、

「○○才、男性、主訴は、、、、。身体所見は、、、検査所見、、、

で最後に、以上から、(例えば)急性虫垂炎が、最も疑われます。」

 

という流れになるかと思いますが、英語だと、

 

特にボスに報告する際は、

「〇〇才男性、急性虫垂炎が疑われるので手術を手配したいのですが」

から始まり、そこでボスが「ふむふむ」となってから、

「経過は、、、身体所見、、、検査所見、、、」と話していくと、

ボスの頭の中では、「最初にこいつがいった結論と、その後の説明に矛盾がないかな」といった視点から会話が進んでいくことになり、こちらのプレゼンに説得力があれば、

「Ok, fine, book it (わかったよん、好きにしな)」とか、

もしイマイチ説得力にかければ、

「How about this?」とか、「WHy don't you do this first? 」とか、アドバイス(時にいちゃもん)をつけてきます。「mmm, I'm not convinced..」(本当に?アッペはないんじゃないの?)的なこと言われちゃったりすることもあります。

 

とにかく、英語では、「最初に結論を言う、それから詳細」と言う文章の構造を徹底することがキモだと思います。

 

最初の頃は、とにかく文章構造が日本語的になりがちで、ボスから途中で「で、何が言いたいの?お前は何がしたいの?」みたいな感じでイライラされることもありました。

頭の中で日本語で考えて英語に訳していたからなのでしょう。

 

以上が英語圏の病院で1年半働いてなんとか身につけつつある、英語のプレゼンtipsでした。

 

余談ですが、Acredited traineeたちは、さすがエリート集団だけあって、朝の申し送りにしてもボスへのプレゼンにしても、本当に上手で、わかりやすいです。

本当にプレゼンが上手い人の申し送りは、たまにApple watchでこっそりレコーディングして後で聞いたりもしてます。

 

ちなみに、彼らはプレゼンの中で曖昧な部分とか、自分の自信がない部分をうまく言い繕うのも絶妙にうまいです。

 

 

日常会話が一番苦戦! オペの最後の10分間に汗びっしょり

 

最後に、意外と苦戦するのが医療以外の話題の雑談です。はっきりいって、医療関係の会話は、つまるところパターン認識なので、医療の内容自体が分かっていれば、あとは慣れれば大丈夫になってきます。

 

しかし、日常会話にはパターン的なものがなく、またslung的な言い回しも増えるので、途端に置いてかれます。これは今でも毎日のようにありますけどね。

 

特に最初の頃困ったのが、オペ中。

オペの最中は「はいこれ引っ張って」とか、「はい、ここ切って」といったような会話で十分成り立つのですが、手術の終盤にクライマックスが過ぎて傷を綴じ始める頃には、みんなリラックスし始め雑談を始めるのです。

 

最悪なのが、ボスと麻酔科が雑談を初めて、ついていけないので縫合に専念していると、いきなり「Tomoはどう思う?」とかいって意見求められたりするやつ。

まじで、苦笑いで乗り切る(いや乗り切れてないんだろうけど)しかない感じで本当汗びっしょり。

 

まあ振り返ってみると、今はまだだいぶマシになってきたのかな。

 

日常会話でもネイティブ同士の会話にちゃんとついていける日は来るのだろうか。

うーん。

 

 

 

 

 

 

 

最高のトレーニングシステムとは? オーストラリアの厳しく悲しい現実  

異常に狭いSET programの門

 

前回はConsultantになるまでの道のりと、そこに至るまでのtraineeのヒエラルキーについて書きましたが、今回はこのTraining program (SET: Surgical education and training)についてもう少し書いてみます。

 

 

小児外科のSET programは7年間なのですが、なんとオーストラリア全土で、全ての学年合わせて30から35人しかprogramには入れないのです。

 

7学年で35人だとすると、みんなが順当にFellwoship examに受かっていけば、毎年5人ずつ新規traineeが誕生することになります。

 

裏を返せば、毎年5人しか小児外科の正規レーニングを開始できない、と言うことです。

 

自分が希望さえすれば、好きな科でトレーニングを開始できる日本と比べると大きな違いです。

 

 

熾烈な競争を勝ち抜いて初めてトレーニングを開始できるのですが、当然大多数の人は篩にかけられてしまうのです。

 

そう、その篩にかけられてしまった人たちの受け皿が、unacredited regisrtrarという

枠なのです。

 

unacredited regisrtrarは、事実上小児外科のトレーニングを積んで経験やコネを蓄えながら、いずれSET traineeになる準備をしているのです。もちろんunacreditedを何年やっても、fellowship examを受けるための必要年数である7年間にはカウントされませんが。

 

このシステムで近年問題になっているのが、SET traineeへの門が狭すぎる、ということです。

 

前述したように、計算上は毎年5人ずつ新規のacredited traineeが誕生するはずなのですが、実際には過去2年間でなんと

 

2人

 

しか小児外科のAcreditedが募集されていないのです。

 

なぜなら、みんながみんな7年間でprogramを卒業しない(できない)からなのです。

 

SET programは、入るのが非常に難しい反面、いったん入ってしまえば、fellwoship examを受けるまでそのポジションは保障されます。そのため、何が起こるかというと、

女医さんたちは、晴れてSET programに入った後に出産する傾向にあり、産休育休を取りながらprogramのカリキュラムをこなしていくのです。今いる同僚の一人も、Acreditedになってから2人子供を産んでいて、programに入ってからもう8年経っています。彼女の場合、卒業まで最短でも後1年かかるので、9年間在籍、ということになります。

 

それともう一つ、卒業試験であるFellowship examが非常に難しい。ということ。噂によると1発合格の可能性は20%とのこと。中には3、4回落ちてようやく5回目で合格、という人もいたようです。

 

1回落ちると半年ほど待たなければならないので、当然そないだ新たな募集はでないのです。

 

合計人数が決まっているため、上記のように卒業に時間がかかる人が多くいると、新たな募集がなかなかでないということになります。

 

悲しい現実

 

このような状況から、小児外科に興味はあったけど、最初から諦めて違う道を選ぶ人、や、Acreditedを目指して何年かunacreditedで頑張ったけど、モチベーションが続かず違う道に行く人、などが多くいることは想像に難くありません。

 

数日前にも、今一緒に働いているunacrediuted2年目の女医さんが、小児外科医になるのを諦めて違う道を探し始めている、という話をしていて、いたたまれない思いです。

 

彼女は、学生の頃から小児外科に憧れ、小児外科のResidentを2年やって、やっと去年unacredited registrarになったのですが、この忙しい小児病院ですでに3年間働いているので、知識や経験もかなり豊富です。

 

それなのに、夢を諦めようとしている彼女を見ると、このシステムはほんとにこれでいいのか?と考えてしまいます。

 

その反面、競争を勝ち抜いたAcreditedたちが半端ない症例を経験して立派なConsultantになっていくのを見ると、トレーニングの質を保つために人数を制限するというのもある意味理にかなっていて、なんとも複雑な気持ちになります。

 

直近の問題

最近気付いた、このシステムの問題点として、年々小児外科志望者が減ってきている(かもしれない)ということです。Acredited traineeになるための門が狭すぎるので、

最初から諦めてしまいう人が年々増えているという話をここ最近耳にするようになりました。

 

以前紹介したように、現状の小児病院は、実際に普段の業務をこなすために必要な若手の数を10とすると、3から4くらいがAcredited traineeで、たりない戦力をunacredited traineeとIMGsで補っているのが現状です。

 

IMGsは置いておいても、Unacreditedは、「この下積みの先にacredited positionがある」というニンジンのために一生懸命働いています。

 

それが、「一生懸命は働いても、Acreditedになれる可能性はかなり低い」ということになれば、「なら諦めて、早めに他の専門分野に切り替えよう」と考える若手が増えるのも自然な流れでしょう。

 

直近の問題は、このように、小児外科を目指す若手医師がそもそも減っていってしまうと、現状の業務を賄うだけの人員が確保できず、通常業務にも大きな影響が出てしまう、ということです。

 

ま、少なくとも今のままの小児外科トレーニングシステムはsustainabilityの点で問題あり、というのが僕の感想です。ま、僕があれこれ考えてもしょうがないんだけどね。

 

Traineeから見た、「狭き門」に対する対策

これだけ狭き門なので、「諦める」という人が多くいることは前述した通りだが、「小児外科医になる道を残しつつ、他の道を選ぶ」という選択をするものもいます。

 

写真に写っているAnaは、去年unacredited registrarとして一緒に1年間働いていたけど、今年はGeneral Surgeryのunacreditedをやっていて、来年General surgeryのAcredited traineeになれるよう研究とかもやっている。彼女はなかなかの苦労人で、去年一緒に働く前にもシドニーのもう一つの小児病院の小児外科でunacreditedをやっていて、さらにその前の年には形成外科のunacreditedをやっていたらしい。

 

彼女は本当に優秀で仕事もできる。でもなかなかSET traineeになれない。

そんな中で、小児外科医の道は諦めてないけど、General surgeryへの道も模索中。

 

General surgeryは、小児外科ほどは門が狭くなく(なぜなら需要(ポジション)が圧倒的に多いから)、また正規のトレーニング期間も4年間と短いので、「Surgeon」になるには小児外科よりはハードルが低い。(とはいってもそれなりの競争率のようですが)

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これはちょうど1年前くらいの写真。左からAna (当時unacredited),Jana (当時resident)、で自分(Provisional fellow)

 

Anaのように、小児外科を目指してはいるのだけれど、とりあえず General surgeryのSET traineeを目指す人は珍しくはない。

 

これにはいくつかの利点があり、

①4年間終えればとりあえず「一人前」になれる。

②4年後にもやはり小児外科を目指したい気持ちがあれば、それから小児外科トレーニングを始めることもできるし、その時にはGeneral surgeryを終えていることは選考の上でかなり有利になる。

③小児外科のSET training7年間の間に義務付けられている「2年間のGeneral Surgery」は免除される。

 

以上の点から、小児外科の中でunacreditedを続けてSET positionを狙うよりも、実は近道かもしれない可能性があるのだ。

 

しかも、 大人の手術を多く経験してから小児外科のトレーニングを積むのは、僕自身の経験から言っても、かなりオススメです。

 

まとめ

 

というわけで、少数精鋭のtraineeを徹底的に鍛え上げて、「一人前」の小児外科医を育てる、というオーストラリアの教育システムは、利点もあるけど欠点もあり、しかもその欠点により、小児外科、やそのtraining position自体の魅力が脅かされかねない、と言った感じです。

 

そして、SET programにはなかなか入れない若手医師は、いろいろ彷徨いながら悪戦苦闘している。というわけでした。

 

ちなみに、写真の真ん中に写っているJanaは去年residentで、今年は晴れてunacreditedになり、今も一緒に働いています。彼は今後無事にacreditedになれるのだろうか。

乞うご期待。

 

医者のヒエラルキー in オーストラリア 〜 「Surgeon」と呼ばれるためには

オーストラリアにおける"一人前"の医師とは

 

今日は、オーストラリアで一人前の医師になるまでのプロセスについて書いてみます。

 

オーストラリアにおいて「一人前」の医師、とはイコール「Consultant」です。

 

簡潔にいうと、オーストラリアでの医師の区別は、

 

「Consultant (神)と、それ以外」

 

です。

 

まあ一応「その他大勢」のtraineeも細かく分けると、「神」に近い順から、Fellow, Registrar (acredited, unacredeted), Resident (SRMO, RMO), Intern、という感じになってます。

 

Consultantとは、各専門分野のトレーニングを経て、Fellowship examという専門医試験のようなものに合格した上で、Consultantとして病院と契約を結んでいる人々のことです。「専門医」や「指導医」といった日本語になるのかと思いますが、日本のそれとはだいぶ違う気がします。

 

オーストラリアではConsultantとなればそれは「一人前」ということで、独立したpracticeを行えます。しかし、Consultant以下(Fellow, Registrar, Resident, Intern)、つまり「半人前」は、全ての医療行為をConsultant の名の元に行います。

 

もちろん現実的には、各々が判断して診断し医療行為を施すのですが、「半人前」が行う全ての医療行為は「一人前」の監督下に行われます。実際、レントゲンや採血のオーダーひとつするのにも、Consultantの名前を記載する必要があるのです。

 

 

日本ではどうでしょう。平成16年度から始まった初期臨床研修制度以降、この初期臨床研修を終えないと、その後臨床医としてステップアップすることは不可能です。でも、3年目以降は、各分野ごとに「専門医制度」はあるものの、多くは学会単位での認定で、法的な制限が変わるわけではありません。というか、卒後20年目で、誰からも信頼される外科医だけど、専門医は持っていない、という先生もいたような気がします。

 

何れにしても、日本では、若手医師が採血オーダーを入れるのに上司の名前は不要です。

 

「I am a Surgeon」の意味

 

前述したように、オーストラリアでは、「一人前の医者」となるためには各分野のFellowship examをクリアすることが必須です。fellowship examをクリアして、さらにconsultantとしてのポジションをゲットして初めて「一人前」として認められます。

 

 そして(前後の文脈にもよりますが)、オーストラリアで「Surgeon」といったら「一人前」の外科医、を意味します。なので、僕らtraineeは「Surgeon」ではないのです。

 

 

働き始めの頃はこの辺のことをよくわかっていなかったので、よく混乱していました。

 

例えば、who is the surgeon today?と聞かれ、「me」と答えたら、は?みたいな雰囲気になったのを鮮明に覚えています。会話の文脈により、traineeのことも「Surgeon」と表現することもなくはないですが、基本的にオーストラリアで「Surgeon」と言ったら「一人前の外科医」つまりconsultant,最低でもfellowのことを指します。

 

 

Acredited と unacreditedと IMGs (provisional fellow)と Fellow

究極のところ、オーストラリアの若手医師は、みんなConsultantになるために下済みをするわけですが、Traineeにもヒエラルキーがあります。

 

今いる職場で働くTraineeは、Acredited registrar 3人、Unacredited registrar 3人、IMGs (International medical graduates; provisional fellow) が僕を含めて2人。それと普段はリサーチしててで、オンコールだけやってくれているResearch fellwow 1人。それとSRMO、いわゆるResidentが6人という体制です。

 

Residentは、研修医上がりのPGY-3から5くらいの学年がほとんどで、多くはここで小児外科の経験を積んで、また小児外科Consultantとのコネを作って、Registrarを経て小児外科医 (Consultant) になろうと考えている人たちです。まあ縫合や糸結びもままならないくらいの若手たちです。

 

Registrarについては、長くなるので最後に書きます。

 

IMGsは、僕ももう一人のTarun(インドから1年だけTransplantを学びに来ている)も、オーストラリアでConsultantになろうとは思ってはいません。僕らはこの病院では「 Provisional fellow(Fellow見習い)」という役職になってます

 

ちなみにオーストラリアで「Fellow」といったら、各分野のFellowship examはパスしているが、まだConsultantのポストがない、あるいは、より専門性の高いsubspecialityの勉強のためトレーニングしている立場を指します。

 

つまり「Felllow」とは言うなれば、日本の18,19歳の若者と考えるとわかりやすいかもしれません。つまり、もうほぼ大人。親もよほどのことがない限り干渉しないし、自分で善悪の分別もつく。でも、法律的には「子供」で、保護者の監督下にある。といった感じです。

 

僕やTarunのように、海外でトレーニングを終えた場合は、fellowに相当するけど、正規の国内Fellowとは違う、という意味でProvisionalなのです。

 

さて、Registrarですが、自分の専門分野を定め、一人前になるべくトレーニングを積む立場、という意味で日本で言うところの後期レジデントになると思います。

Acredited(正規)とunacredited(非正規)という2種類のRegistrarが存在します。

 

何が正規かというと、外科系の場合、RACS (Royal Australian College of Surgeon)という、日本で言う学会のような組織が定めた正規のトレーニングプログラム(SET; Surgical education  and training)のtraineeかどうかと言うところの違いです。

 

SET programに定められたトレーニング要綱を全て満たして(最低7年間、必要症例数や、定期的な課題提出、実習のようなものを全てクリアする必要あり)、初めてFellwoship examを受ける資格を得ることができます。もちろん職場の上司からの定期的な評価もあるようです。

 

病院側は、acreditedに十分な経験を積ませて一人前に育てる責任があります。

なので、当然のようにunacreditedに比べてacreditedの方が優先的にメジャー症例を経験できるような暗黙の了解があるようです。

 

まあunacreditedも、将来晴れてacreditedになれば今度は自分が症例を独り占めできるので、今はしょうがない、と受け入れているような雰囲気です。

 

まとめ

まあtraineeにも色々な立場が存在しますが、みんなで仲良くやっています。

別にacreditedとunacreditedで気まずい関係、とかそういったこともないので、まあこれはこれでうまく成り立ってるのかな、という気はしています。

 

そして、正規のTrainee一人一人の経験症例数は日本に比べると桁違いに多いです。

これは人数を制限することにより症例数を確保しているからで、希望すればTraineeになれる日本とは対照的です。

 

しかし、正規のTraineeになるまでがかなり過酷なので、それはそれで色々な問題があるようです。

 

その辺りについては次回書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シドニー小児病院でのコロナシフト 

Children's Hospital at Westmeadのコロナ対策

オーストラリアは、幸いヨーロッパのいくつかの国やアメリカのような医療崩壊も起きず、また日本のように行政が右往左往(?)することなく、数週間前から規制が段階的に緩和されています。今週末からは室内プールとジムもオープン!これで肥満な日々にも希望の光が!

 

職場であるChildren's Hospital at Westmeadは、2ヶ月近く緊急手術(appendicitisなどの急性腹症、acute scrotumが大半、あとはいくつかの新生児外科疾患 )および準緊急(baby hernia, malignancy、biliary atresia, など)のみに限定していた手術制限を、平常時の80%のキャパシティまで戻して待機手術を再開します。

 

病棟業務的には、2週間前から従来の4チーム制に戻っていましたが、待機手術が再開されるので来週からはぐっと忙しくなることでしょう。

 

ということで今回は、ここ3ヶ月ほどのコロナシフトについて振り返ってみたいと思います。

 

まずはその前に、通常時の体制をご紹介。

 

シドニー小児- CHWの小児外科

僕の職場は、Children's Hospital at Westmead (CHW)のDepartment of General Surgeryという部署。医者は、Consaltantが12−3人(多い!)、僕を含むFellow/ Registrar が10人(Research fellow1人含む。彼は通常夜勤や緊急時のヘルプのみ臨床に関わる)、あとResidentが6人という布陣。(このFellow,registrar,residentの違いについてはまた違う機会に紹介します。)。通常時は、consultant3、4人にregistrar2、3人とresident1人で1チームを形成し、4チームで待機手術、病棟患者管理を行っています。部署内には外来や手術予約などを行う秘書さんが7人とリサーチナースが1人がいて、日々の大量な業務をこなして僕らの業務をかなりサポートしてくれています。

 

医者の責任と業務は簡単にいうと、Fellow/registrar (今後は便宜上「registrar」と表現します) は、Consultantの名の下に日々の診療業務を行い、residentはfellow/registrarの指示のもと診療業務を行う、という感じです。

 

より簡単にいうなら、Consaltantは神で、それ以外はしもべ、なのです。

 

Registrarがどの程度まで独自で判断するか、については、基本的にconsultantとの信頼関係のもとで臨機応変に、という感じです。

 

 

この「consultantとregistrarの信頼関係」というのが、特に1年目の最初の3ヶ月くらいの間僕が非常に苦戦した部分なのですが、それもまた違う機会に書きたいと思います。

 

CHW外科のコロナシフト

 

3月末から、オーストラリア全体で待機(非緊急)手術停止。また外来受診もなるべく減らすよう指示が出ました。

 

それに伴い、前述した通り、緊急(当日〜2、3日以内に手術が必要)および準緊急(1週間から1ヶ月以内に手術が必要)なケースだけに絞って手術が行われる体制になりました。 それでも毎日4、5件はありましたが。

 

外来も、緊急性のないものはキャンセル、延期。電話で済むものは電話対応またはテレビ電話。どうしても身体診察が必要であまり待てないケースだけ外来受診。という体制。

 

ざっくりいうと、診療規模は通常時の1/3程度に制限されることとなったわけです。

 

で、僕らしもべ達は、1/3になった業務を全員でやっても仕方がない、ということと、誰かがコロナに感染して、周囲の接触者が全滅するリスクを避ける、という意味合いで、半分が現地勤務、半分はリモート(自宅)勤務、という体制になりました。

 

実際には、2チームに分かれて、2週間ごとに現地勤務と自宅勤務、という具合でした。現地チームはさらに2チームに分かれ、「病棟患者対応チーム」と「急患(オンコール)対応チーム」がそれぞれ極力接触を避けて病棟と急患室・オペ室で勤務することになりました。 この2チームはオフィスでの居場所も別々に指定され、チーム間の申し送りもZoomで行われ、接触回避が徹底されました。

 

「病棟患者対応チーム」と「急患(オンコール)対応チーム」という最小単位に、senior registrar/junior registrar/resident が均等に配置され、2週間ごとに働く、というのを結局2サイクル半に渡り行いました。

 

ちなみに自宅チームは、給料をもらうために「勤務」しなければならないので、paperworkと電話外来、あと勉強会の準備が主な仕事でした。まあもちろん子供達が家にいて、仕事にならない日もありましたが、、。

 

オーストラリアのコロナ対策

今回のコロナ禍をオーストラリアで働きながら感じたこととしては、

 

・政府の対応が早い

・とりあえず動きながら考える、的な感じで緊迫感あり

・首相や州知事が大事なメッセージをしっかり伝えるのが上手

・日々アップデートされる行政の方針に反応して、各自治体や病院の対応も迅速

 

といったところです。

 

とにかく、3月中旬くらいから、近いうちに上記のようなコロナシフトに移行する必要がある、ということを部長がみんなに伝え出して、院長や行政側と調整しながら一気に大胆な変化をもたらす、という一連の流れがとても鮮やかに見えました。

 

そんなオーストラリアの動きを肌で日々感じながら日本のニュースを見ていると、意思決定のプロセスが本当に曖昧で、日本は「エビデンスに基づいた政治判断」ができない国なんだなと改めて思いました。

 

ということで、オーストラリアは今、徐々に通常の生活に戻りつつあります。

まあこちらは夏から秋にかけての時期だったことや、地理的に孤立していることなどが感染拡大防止に一役買っていたこととは思いますが、僕は個人的にはオーストラリア政府の対応は(federal,state共に)見事だなあと感じた今日この頃でした。

 

スコットモリソン首相の記者会見を見てて、彼のこと尊敬するようにもなりました。

まあ比較対象が我が国の某首相なので過大評価気味ではありますが。

 

オーストラリアの医療行政における意思決定については、シドニー大学公衆衛生大学院時代に学んだこと、感じたことなどと織り交ぜてまたの機会に記したいと思います。

 

ということで、明日は週末の回診当番なので、そろそろ寝ます。

 

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これは完成間近の新しい施設。成人病院と小児病院の間にあり、完成後は小児、成人それぞれの救命救急センターと、日帰り手術専用の手術室ができる予定。実はこの建設工事、今回のコロナ禍に人員を増やして完成を2ヶ月ほど早めて急ピッチで建設が進められました。コロナのオーバーシュートが起きた時に、新手術室をICUとして使う、という事態を想定し、政府がここに追加予算を出したようです。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

オーストラリア臨床留学への道③ とりあえず、やって(行って)みる

公衆衛生修士(Master of Public Health;MPH)のためシドニー大学へ留学

2017年8月下旬ごろ

前回書いたように、メルボルンに(勝手に)行く気になっていたところに届いたMonachからの不採用通知により、途方にくれることになりました。

 

教授にも、オーストラリア行って小児外科医として成長してきます!とか言ってしまったし、家族ももう結構行くつもりで、妻はメルボルンの物件とか調べだしてるし、どうしよう。そして何より、当時住んでいた家ももうすでに売りにだして買い手を探し始めていました(笑)。日本に残るなら売却希望を取り下げなきゃなあ、なんてことも頭によぎったりして。

 

とりあえず、教授や家族や不動産屋さんのことはさておき、今回の反省を踏まえて、来年もう一度採用試験を受けるために、これからの1年間で出来ることをやってくしかない、と、とにかく前に進むことに決めました。

 

そんなわけで、一年後のリベンジのために一番良いのは、とりあえずオーストラリアに渡ることだ、と言う結論に達しました。

 

一年後の面接の時に、現地にいること英語をもっと話せるようになっていること、が必須だと考え、それなら、とにかくオーストラリアに渡ってしまえ、と考えたわけです。

 

まずはひつこく、不採用だったMonashのRamに、「無給でいいからリサーチの手伝いさせてくれ」と言う内容のメールを送りましたが、「労働基準法的な観点から、無給で人を雇うのは難しい」と言う返事が帰ってきました。

 

MPHという選択肢

 

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シドニー大学の校舎の一つ。ハリーポッター風。それなりに歴史あるらしく、NSW州の文化遺産になっている(はず)。

最終的に、僕が選んだのは、修士(MPH)を取るためにシドニー大学に留学する、という道でした。実は、臨床をやっている中で常々、疫学、統計や臨床研究のことをしっかり学んでみたいと言う思いを持っており、MPHという学位には数年前から興味は持っていました。それで少しネットサーフィンで色々な国のMPHのコースを調べたりした時期もありました。

 

ただ、 小児外科医としてもっと臨床経験を積みたいと思っていた時期だったので、MPHの勉強をするというのは現実的ではないな、と思って、特にそれ以上考えてはいませんでした。

 

それが、オーストラリア行きの切符を取り損ねた状況に陥った時に、ふと再び「これを機にMPHの勉強をしにオーストラリアに行く」という選択肢にたどり着いたわけでした。

 

 以前ネットサーフィンしていたおかげで、通常1.5年から2年コースが基本のMPHが、シドニー大学では1年で取れる(注:2019年からはシドニー大学も1.5年のコースになってます)、という情報が頭の片隅に残っていたので、Ramから「無休は難しい」のメールが届いたその日の午後には留学エージェントのオフィスへ、シドニー大学出願に必要な要件や段取りを教えてもらいに伺いました。

 

ちなみにその時お世話になった留学エージェントのICCというところは、なんとH先生がメルボルン大学へ留学する際もお世話になったところでした。というか、かつてH先生がオーストラリアで臨床をしていたことを知るきっかけとなった記事も、ICCのものでした。なんとも不思議な縁を感じます。当時の社長のSさんとはその後ビールを飲みに行ったりもしました。とても素敵な人たちが多く働いている素敵なエージェントだったことを覚えています。

 

www.iccworld.co.jp

 

 

2017年12月 渡豪

バタバタでMPH出願、採用、ビザ手続き、などを済ませ(というかほぼICCの方々のおかげ)、2017年の年の瀬に家族でシドニーへ引越しとなりました。

 

そして、2018年2月から、10年以上ぶりに「学生」に戻り、シドニー大学でMPHを学ぶこととなるのでした。

 

一元的には、「公衆衛生を学ぶ」という目的のオーストラリアではありましたが、究極の目標は、「オーストラリアで臨床ポジションを得る」ということだったので、この時点でははっきり行って、不安でいっぱいでした。最短で、「1年間MPHを学んで帰国」という可能性もあったので、(最悪それでも自分の成長は間違い無いとは思っていましたが)それだけは避けたい、なんとか1ミリでもポジションゲットの可能性が上がることをしていかなくては、という思いだったのを覚えています。

 

見切り発車は成功のモト

とりあえずオーストラリアに行って英語をブラッシュアップして、あとはメルボルンにもちょくちょく通って顔を売って、それからMPHも売りにして、次回の面接でなんとかMonashに採用してもらう、というのが、当初の(かなり雑な)思惑でした。

 

しかし、蓋を開けてみれば、シドニーの小児病院で働けることになるのです。

 

続きはまた後日書こうと思いますが、とにかく、見切り発車でシドニーに来てしまったところから、(良い意味で)想定外の出会いや運に恵まれて、渡豪1年後から臨床ポジションで働くことができるようになりました。

 

今回の記事のサブタイトルにあるように、自分で限界を決めないで、そして常識にとらわれず、とりあえずやってみる。それと、背水の陣で臨めば道は開く(こともある)。ということの大切さを見に染みて味わったのがシドニーでの1年目でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーストラリア臨床留学への道のり② USMLEなしで臨床留学

卒後10年目からの海外臨床留学

 志だけ高いグータラ外科医

自分は、残念なことに「グータラ(流されやすい怠け者)」です。

日本にいるときは、仕事の後は、飲みにいく同僚を横目に論文執筆、などということはなく、もれなく一緒に飲みに行ってました。休日も油断するとYoutube無間地獄で1日を無駄にすることもよくあります(今でもたまに)。

 

そんなこんなで、気づいたら卒後10年以上になり、医局ではなんとなく立場が上がっていく日々。手術はまあまあできるようにはなってるけど、このままでいいの? という日々。そんな中、以前(オーストラリア臨床留学への道のり①)に書いたように、「海外臨床留学」を本気で考えるようになりました。

 

 

USMLEを受けずに海外で臨床」を求めた結果、、、

 

そう、グータラだけど志だけは高く、ということでネットで情報を集め始めました。

最初の頃によく読んでいた記事は、主にアメリカでレジデンシーやフェローとして活躍する先生方のブログなどです。多くの先生方は、「学生時代にUSMLE STEP1合格」とか、「研修医時代はとにかく暇さえあればUSMLE」とか、「海軍病院で研修」とか、読めば読むほど、すでに自分は手遅れな感じがあって、マジかよ、あちゃー、となっていました。

 

絶望感に浸ったのちに、続いて、どうにかUSMLEを受けずに海外で臨床できないか、という視点で情報を集め始めました。

 

とりあえず、いろいろな英語圏の国を一つづつ調べてみました。すると、なんとオーストラリアで、しかも小児外科で臨床フェローをやってた先生の記事に出会いました。その記事によると、オーストラリアはアメリカのUSMLEのような試験に受かってなくても日本の医師免許で臨床ができる、とのことでした。(オーストラリアで臨床をやるための条件についてはまた別で書こうと思ってます。)

 

これだー!ということで、その偉大な先駆者の先生の名前を見てみると、なんと、同じ大学の大先輩。しかも以前に面識あり!ということで、そのH先生(今でも海外で活躍中)にFacebookを通して連絡をとり始めました。

 

H先生の導き

H先生にその際頂いたアドバイスは主に3つ。

「英語をしっかりやっておけ」「とにかく臨床能力を磨いておけ」「行きたい先の先生にメール書け」

ということでした。しかも、「俺にできることならなんでもする。俺からもメール書いてあげるから。」と。

数年ぶりにいきなりFB Messengerでメールしたのに、すぐさまこんな的確なアドバイスをくださるなんて、神です。H先生。今度本人に承諾いただいたら本名出したいです!

 

そして、これだけではなく、その後もずっとH先生に導かれて、オーストラリアに行くことになります。

 

オーストラリアを目標に設定〜臨床フェロー開始まで

 

 H先生にMessengerでメールしたのが2016年1月、それからまずはIELTS の勉強を開始。

 

2016年5月 博多でH先生と再会 (日本小児外科学会、IPEG)、その際、H先生のメルボルン時代の同僚で、現Monash Children's HospitalでconsultantをやっているRam (UK出身の小児外科医)を紹介してもらう。そして、Monashでも海外からのフェローを受け入れていることを知り、今度尋ねることを約束する。

 

2017年2月 約束どおりメルボルンへ病院見学へ 

(この時にMonashの他にも、H先生が働いていたRoyal Children's Hospitalも見学)

 

この訪問では、RamがMonashのボスや他のconsultantも紹介してくれて、「来年待ってるよー」みたいな雰囲気になり、一気に盛り上がる(自分だけ)!

 

結局、ここで感触が良かったと勘違いし、浮かれていたのでそののちにガツンとやられます。

 

2017年3月 日本のボス(O教授)に、自分の計画を伝え、なんとかOKをもらう。

 

2017年8月 Monashの面接 (国内から。スカイプ面接のはずが、うまく機能せず。結局電話での面接に。電話で英語はかなりつらかったです、、、。) 

 

で、

 

2週間後、不採用通知が届く

 

と、ここでお先真っ暗になりました。

 

周りにも、「来年からメルボルン」と言ってしまっていたので、どうしよう。

うーん。調子に乗りすぎて、面接も準備不足だったか。

Ramは「残念だけど、競争率が高すぎで、引き上げられなかった」と。

ま、オブラートに包んでくれてるけど、結局は実力不足、ということ。

 

結局は、不採用通知の3ヶ月後には渡豪することになりますが、その辺については次回に書きます。

 

nomadsurgeon.hatenablog.com

 

 

 

シドニー小児病院(The Children's Hospital at Wesmead)での小児外科臨床フェロー2年目がスタート

 

 


2日坊主、、、

 

まさかの、三日坊主にもならず、2日間の投稿の後完全に放置していたので、久しぶりに書いています。

 

僕は現在、オーストラリア、シドニーThe Children's Hospital at Wesmeadというところで小児外科の臨床フェローとして働いています。去年の1月末からスタートして、今月から2年目に突入したところです。

 

ほんとは、ここで働くに至った経過などを最初に書いていこうと思い、前回書き始めたのですが、道のりが長すぎて、根気がいることがわかったので、とりあえずブログを続けることを優先して、今回は最近の出来事などを書くことにしました。

 

海外での臨床2年目に入って思うこと。今年の目標など。

 

オーストラリアでは、新学期が1月末から2月初めに始まります。子供達もそれぞれ新しい学年、新しいクラスで学校生活をスタートしたのですが、職場でも多くの人々が去り、そして多くの新しいメンバーが来ました。

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昨年末のワンショット。Susan(最前列右)はインドへ、Quang(最後列右)はベトナムへ帰ってしまいました。

 

そして僕自身は旧メンバーとして、Westmeadでの2年目を迎えました。

今年は、Senior traineeとして後輩への指導も期待されている(はず)し、自分自身も慣れてきて、より多くのことを吸収できると思っています。(去年は特に前半、とにかく英語と職場環境になれるのにいっぱいいっぱいだった、、。)

 

とにかく日々、気を引き締めて、より良い小児外科医になるために精進していこうと思っています。

 

ほんとにごく最近になって、「あ、なんだか自分もだいぶこの職場に慣れてきたな」という感覚を少し持つようになっていました。知っている人も増えて、直接相談してくれる他科のフェローなどもちらほら増えてきました。この調子で、周りから信頼される小児外科医になれるよう頑張ります。

そして新たなメンバーは、より若い、経験の少ないメンバーが多いので、彼らをカバーしていくことも自分の課題として考えています。さらに、Senior traineeとしてコンサルタント(ボスたち)とよりコミュニケーションをとって、自分自身の向上とともに、Westmeadの小児外科臨床のクオリティを高めることに貢献していきたいと思います。

 

やっぱり日本人に合うとホッとする、、

それから、去年も何人かいたのですが、日本から見学に来る学生やドクターに会うこともちらほらあるので、彼らにも、できる限りおもてなししていきたいなと思ってます。

 

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静岡こども病院からは定期的に若手ドクターが見学に来てます。去年来た山手先生と川野辺先生。