公衆衛生修士(Master of Public Health;MPH)のためシドニー大学へ留学
2017年8月下旬ごろ
前回書いたように、メルボルンに(勝手に)行く気になっていたところに届いたMonachからの不採用通知により、途方にくれることになりました。
教授にも、オーストラリア行って小児外科医として成長してきます!とか言ってしまったし、家族ももう結構行くつもりで、妻はメルボルンの物件とか調べだしてるし、どうしよう。そして何より、当時住んでいた家ももうすでに売りにだして買い手を探し始めていました(笑)。日本に残るなら売却希望を取り下げなきゃなあ、なんてことも頭によぎったりして。
とりあえず、教授や家族や不動産屋さんのことはさておき、今回の反省を踏まえて、来年もう一度採用試験を受けるために、これからの1年間で出来ることをやってくしかない、と、とにかく前に進むことに決めました。
そんなわけで、一年後のリベンジのために一番良いのは、とりあえずオーストラリアに渡ることだ、と言う結論に達しました。
一年後の面接の時に、現地にいること、英語をもっと話せるようになっていること、が必須だと考え、それなら、とにかくオーストラリアに渡ってしまえ、と考えたわけです。
まずはひつこく、不採用だったMonashのRamに、「無給でいいからリサーチの手伝いさせてくれ」と言う内容のメールを送りましたが、「労働基準法的な観点から、無給で人を雇うのは難しい」と言う返事が帰ってきました。
MPHという選択肢
最終的に、僕が選んだのは、修士(MPH)を取るためにシドニー大学に留学する、という道でした。実は、臨床をやっている中で常々、疫学、統計や臨床研究のことをしっかり学んでみたいと言う思いを持っており、MPHという学位には数年前から興味は持っていました。それで少しネットサーフィンで色々な国のMPHのコースを調べたりした時期もありました。
ただ、 小児外科医としてもっと臨床経験を積みたいと思っていた時期だったので、MPHの勉強をするというのは現実的ではないな、と思って、特にそれ以上考えてはいませんでした。
それが、オーストラリア行きの切符を取り損ねた状況に陥った時に、ふと再び「これを機にMPHの勉強をしにオーストラリアに行く」という選択肢にたどり着いたわけでした。
以前ネットサーフィンしていたおかげで、通常1.5年から2年コースが基本のMPHが、シドニー大学では1年で取れる(注:2019年からはシドニー大学も1.5年のコースになってます)、という情報が頭の片隅に残っていたので、Ramから「無休は難しい」のメールが届いたその日の午後には留学エージェントのオフィスへ、シドニー大学出願に必要な要件や段取りを教えてもらいに伺いました。
ちなみにその時お世話になった留学エージェントのICCというところは、なんとH先生がメルボルン大学へ留学する際もお世話になったところでした。というか、かつてH先生がオーストラリアで臨床をしていたことを知るきっかけとなった記事も、ICCのものでした。なんとも不思議な縁を感じます。当時の社長のSさんとはその後ビールを飲みに行ったりもしました。とても素敵な人たちが多く働いている素敵なエージェントだったことを覚えています。
2017年12月 渡豪
バタバタでMPH出願、採用、ビザ手続き、などを済ませ(というかほぼICCの方々のおかげ)、2017年の年の瀬に家族でシドニーへ引越しとなりました。
そして、2018年2月から、10年以上ぶりに「学生」に戻り、シドニー大学でMPHを学ぶこととなるのでした。
一元的には、「公衆衛生を学ぶ」という目的のオーストラリアではありましたが、究極の目標は、「オーストラリアで臨床ポジションを得る」ということだったので、この時点でははっきり行って、不安でいっぱいでした。最短で、「1年間MPHを学んで帰国」という可能性もあったので、(最悪それでも自分の成長は間違い無いとは思っていましたが)それだけは避けたい、なんとか1ミリでもポジションゲットの可能性が上がることをしていかなくては、という思いだったのを覚えています。
見切り発車は成功のモト
とりあえずオーストラリアに行って英語をブラッシュアップして、あとはメルボルンにもちょくちょく通って顔を売って、それからMPHも売りにして、次回の面接でなんとかMonashに採用してもらう、というのが、当初の(かなり雑な)思惑でした。
しかし、蓋を開けてみれば、シドニーの小児病院で働けることになるのです。
続きはまた後日書こうと思いますが、とにかく、見切り発車でシドニーに来てしまったところから、(良い意味で)想定外の出会いや運に恵まれて、渡豪1年後から臨床ポジションで働くことができるようになりました。
今回の記事のサブタイトルにあるように、自分で限界を決めないで、そして常識にとらわれず、とりあえずやってみる。それと、背水の陣で臨めば道は開く(こともある)。ということの大切さを見に染みて味わったのがシドニーでの1年目でした。