外科医10年目からの海外臨床留学

グータラなのに志だけは高い小児外科医の海外臨床留学の記録です。主に気合いと乗りと運で今まで生きてきてます。臨床留学先としてのオーストラリアの紹介。英語の勉強法や影響を受けた本などの紹介もしていく予定です。好きな言葉は「大器晩成」。2児の父です。emailはtkghiramatsu@gmail.comです。

オーストラリア臨床留学への道のり①

 はい、ブログ開始2日目です。これから何回かに分けて、僕が今のポジションで働くようになるまでの道のりをダイジェストで書いてみようと思います。

ま、自己紹介のようなものです。

 

なぜ海外臨床留学を目指したか

簡単にいうと、

一度は海外に住みたい」「小児病院でトレーニングを積みたい」海外臨床留学

となったわけです。

 

思えば、小児外科を目指し始めた理由は

手術をする科に行きたい」+「子供を治したい」+「色々な臓器を扱いたい」

で、イコール「小児外科」

でした。

 

海外への願望は常に持ちながらも、気づいたら卒後10年、、、

昔から漠然と、一度は海外で暮らしてみたいなあ、と思ってました。あと、学生や研修医の頃、アメリカで医療とかやってみたいかも、なんて考えてみたこともありました。

でも、かといってそのためにUSMLEの勉強をしたり、アメリカでのレジデントシーを目指す人が多くいる有名研修病院や米軍の病院を目指すこともなく、出身大学の付属病院で研修し、そのまま出身大学の外科医局に入り外科のトレーニングを開始しました。

初期研修終了後、3年間の外科後期研修プラス2年間の消化器外科(フェロー的な?)を終え、卒後8年目より、小児外科のトレーニングを大学病院で開始しました。

大学病院では、競合するtraineeもいなかったこともあり、それなりに難しい小児の手術もどんどんやらせてもらい、また学会発表や、たまーに論文を書いたりと、大学の医局員としてそれなりのキャリアを歩んでいました。そして、大学病院に2,3年いた後は、国内の小児病院へ留学、というお決まりコースを歩み、一人前の小児外科医になっていく、、というのがトレーニング開始当初の(上司A先生から言われていた)計画でした。

 

ところが、違う上司(Y先生)から、大学院進学を勧められ、というか選択の余地なく大学院へ進学することとなり、向こう4年間は大学病院に勤務しながら基礎研究を行い学位論文を書く、というタスクを承ることになりました。(当時は複雑なツートップ体制でした、、。)

 

これにより、小児病院への留学の話は当面なしとなりました。というか、僕が大学病院に残り学位論文をどうやったらかけるか悩んでいる間に、結局後輩たちが続々と小児病院へ留学していくこととなりました。

 

そして気づけば卒後10年。大学院(学位論文)に目処が立てば留学させてもらえる、という話をA先生から言われてはいましたが、正直、後輩たちがどんどん小児病院んで経験を積んでいく中、学年ばかり上がっていってしまうことに危機感を感じていました。

 

どうしよう、俺、小児病院でいっぱい経験積んで、誰からも頼られる小児外科医になりたいんだけど、このままで大丈夫か?? 国内小児病院留学、そしてできれば海外研究留学も、、、なんて考えてたけど、どっちかしか無理じゃね?

 

と行った焦りが募る中、考え始めたのが「海外臨床留学」でした。

 

最初の計算式を正確に書き直すと、当時の僕の感覚としては

「一度は海外に住みたい」+「小児病院でトレーニングを積みたい」

               +「、、、でも両方別々は難しそう、、、」

=海外臨床留学

となったわけです。

 

ふう、

 

オーストラリアを留学先に選んだ理由、どんな準備を始めたかについてはまた明日書こうと思います。