なんと、最後にこのブログを更新してからもう5年弱も経ってました。
来年以降、僕の働き方や内容がガラッと変わるので、その前にこのブログを完結させておこうと思って久しぶりに更新します。
最終章で、オーストラリアでの9年間のまとめ的な内容を書こうと思ってますが、その前にこの5年間の穴埋めをちょっとだけさせてください。
このブログに辿り着く人は、オーストラリアへの臨床留学を考えている人が主だと思うので、過去5年間でさらに知り得た有用情報(自分的に)も盛り込んでいきたいと思います。
この5年間で何をしていたか
あ、先に言っておくと、2023年1月にオーストラリアの、Sydneyとは反対側の西の端にあるPerthという街に引っ越して、今もそこに住んでいます。
とりあえずオーストラリアに来てからの職場の遍歴;
2017年末 東京からシドニーへ移住
2018年 シドニー大学公衆衛生修士(MPH)
2019年1月−2023年1月 Clinical fellow at Children's Hospital at Westmead (Sydney)
最後のブログ更新の後、さらに1年とちょっと、同じWestmeadにいました。
で
2023年2月-2024年1月 Clinical fellow at Perth Children's Hospital (Perth)
2024年2月-2025年5月 Registrar in General Surgery (成人一般外科)
at Sir Charles Gairdner Hospital (Perth)
からの
2025年6月 - 現在 Locum registrar (バイト) in General Surgery
at Geraldton Regional Hospital (Geraldton)
です。
ここでもう一つ加えておくべき大事なことは、
2024年3月からジャパンハートという団体が運営するカンボジアの病院へ定期的に行き、
主に小児がんに対する手術支援と、治療方針に関するコンサルティングを行っています。
だいたい2ヶ月に1回、1週間ずつの訪問で、それに加えて2週に1回のオンライン腫瘍カンファレンスで治療方針の検討などを行っています。
今までに、8回訪問し、小児腫瘍のメジャー手術を15件くらい?と、他にも一般小児外科症例や、成人の手術の手伝いなども行ってきました。腫瘍カンファレンスでのコンサルティングは、日本の他の外科医、小児腫瘍内科医、それとカンボジアの医師たちと共にのべ80例ほどの腫瘍症例の検討を行ってきています。
2025年6月位以降の僕のオーストラリアでの職場は、基本的にカンボジアへの定期訪問、カンファレンスへのコミットメントを前提に、そんな生活を実現可能な職場として選択した結果です。
先述したように、来年以降ガラッと変わると言ったのは、今後ジャパンハート(カンボジア)での活動の比率を段階的に増やしていき、カンボジアでの小児医療の発展に全身全霊フルコミットしていく、という方向性に舵を切ることを決断したからです。
カンボジアでの活動に関しては、別のメディアで発信しようと考えているので、このブログでは、オーストラリアでの臨床医としての経過についてもう少しシェアさせていただきます。

オーストラリアで臨床をする方々に有用(かもしれない)情報
で、とりあえず僕のオーストラリアでの経歴を、AHPRAのレジストレーション目線でまとめると、以下になります。過去の記事の内容と多少重複あります。
まず
2018年に晴れて臨床をスタートあせた時点では、
Short term training pathway
でした。
これは以下の3つの条件を満たした上で最大3年(科、つまり管轄の学会によって異なる。2年の場合も多い)
- 自国で専門医トレーニングを修了している。
- 英語検定で規定以上の成績を取っている
- 受け入れ先(臨床ポジションでの採用)が決まっている
で、小児外科の場合は、これで最大3年間いけたのですが、3年目に入った段階で、後もう2、3年はオーストラリアにいたいな、と思ったため、
ここからStandard pathwayにコンバート
コンバートするための条件は
AMC part1に合格すること
で、これは奇跡的にあっさり一発合格しました。
で、ここで大事なことは、
AMC part1のみで臨床をやり続けることはある程度可能(トレーニングポジションでなら、僕が聞いたことある中では9年間part1のみで働いているIMGがいたらしいです)
ただし、
本来は、その後ほどなくPart2 (OSCE)に合格し、1年以上の規定の臨床をオーストラリアで行ったのちに晴れて
General Registration
を得る、というのが大前提、ということです。
大前提、と書いたのは、もしpart2に合格しないまま更新期限が来ても、’progress towards General Registration’を示せば、更新しつづdけることが可能、ということです。
僕はちなみに、、、、
Part2に4回落ち、5回目でようやく受かりました。最初に受けてから2年以上かかりました😭
あ、あと、僕の場合は条件付きのGeneral registrationです。
なぜなら、
オーストラリアでは外科領域でしか臨床をしていないから。
条件なしのフルのGeneral registrationを取るためには、基本的に所定の領域を所定の期間ローテートしなければなりません(救急10週間、内科10週間みたいな感じ、正確な情報は各自調べてください)
まあ僕の場合はm、条件付きでもGeneral registrationには変わりないし、外科領域で以外で働くことはまずないので、僕はもうこれでregistrationのための努力からは卒業してます。僕のregistrationで、今みたいにバイトでもなんでもできます。ただ、専門医(specialist)ではないので、独立した診療あ基本的にできません。僕の場合はそれで十分だったので、このままです。
’所定の領域を所定の期間ローテート’ に関して、(試した人がいるかわかりませんが、)ahpraの冊子に書いてある情報によれば、自国でオーストラリアでのローテーションと同等の研修を所定の領域で所定の期間以上受けたことを証明できれば、これも免除される可能性はある、とのことです。
これからPart2を考えている人は、WBA(Workplace based assessment)という道もあるのを忘れないでください
これは、part2を受験する代わりに、オーストラリア国内での指定された病院でのWBAプログラムに採用されれば、基本的に有給ポジションで働きながら、所定のかをローテーションし、Osceではなく、決まった項目をスーパーバイザーのもとでクリアしていけば、期間終了後にGeneralaregistrationがもらえる、というものです。
詳しくはAHPRAのホームページで確認してください。
僕が今働いているGeraldtonは西オーストラリア州の田舎町ですが、子の病院でも毎年何人かWBA枠で採用されてはたらくIMGsがいて、僕はスーパーバイザーの一人なので、彼らの診察スキルや問診スキルなどを評価する、というようなことをやってます。
僕のように5回も受ける羽目になると、2年以上かかって、受験代だけで200万円以上注ぎ込む必要が出てくるので、これからPart2受験を考えている人は、ぜひWBAという選択肢も検討することを薦めします。
永住権について
これ、やっぱり知識イズマネー、というか、よく知っておくにこしたことないです。医師として永住権を取るにも、複数のやり方(ビザの種類)があって、それぞれ要件が異なるので、詳しくはご自分でしっかり調べる、または、一番確実なのは、お金はかかりますが、専門家にコンサルトすることをお勧めします。あと、ルールも知らないうちに変わったりするので、僕の情報はあくまで僕がビザを取った2024年末の時点での情報として、参考にするにとどめてください。
ざっくりと、
僕は186 Employer Nomination Schemeというビザで永住権を取得しました。これは、指定の職種において、オーストラリアでの実働実績があり、雇用主がスポンサーになることに同意してくれた場合に申請できるものです。
他に
医師のような、資格自体が強い専門職ではセルフスポンサービザもあり、
- 189 Skilled Independent → 完全に独立型。州スポンサー不要。直接PR
- 190 Skilled Nominated → WAなど州政府のnominationが必要。直接PR。州nominationでポイント加算あり。
- 491 Skilled Work Regional → 州nomination等+regional居住。これはまずprovisional visaで、その後条件を満たして191 PRへ。
などがそうです。これらのセルフスポンサービザは、年齢制限(INVITATION発行時点で45歳未満)があります
セルフスポンサービザは、AHPRAのSPECIALISTまたはGENERAL registrationをとってはじめて応募できます。¥
186ビザは、雇用主がスポンサーになってくれさえすれば、general registrationを取る前でも取得できます。(まあgeneral registrationを取る前のIMGsの永住権スポンサーになってくれる病院は限られてますが)
実際、Geraldtonでは、先述のWBAで働いていて、まだ修了前でも病院がスポンサーになって永住権を取得しているIMGsが何人かいます。
で、僕の個人的な経緯を話すと、
実は僕はその年齢制限も知らなかったし、186ビザの存在も知りませんでした。
AMC Part2に受かってgeneral registrationとって、セルフスポンサービザにアプライ!
という選択肢しかないと信じ切っていた僕は、part2に4回めに落ちた段階で、45歳の誕生日まで後数ヶ月、となり、はい詰んだー、となりました。
で、てっきり永住権への道は断たれたので日本に帰るしかない、、と思っていたところ、その当時の上司が、まず一回移民弁護士に相談してみろ、とアドバイスをくれ、ダメもとで会いに行ったところ、186の道を知ることになるのでした(苦笑)
で、またプチ奇跡、というか周りの人全てが救世主だった話
ということで、永住権を申請するためにその当時勤めていたSir Charles Gairdner Hospitalという成人のおっきな病院の人事部の人に、永住権のスポンサーになってください、とお願いしました。
そうすると
あなたはただのいちトレイニー(いわゆるunacredited registrarだったので)、この病院は、過去に病院が是非とも雇いたいコンサルタントのスポンサーになったことはあるけど、イチとレイニー(下っ端)のスポンサーになったことはないわ
と、あっさり断られちゃいました。
まあ実はそこからプチ奇跡みたいな、相変わらず周りのみんなの助けによりミラクルが起きて、そのことを話した上司と、他のコンサルタントたち(みんな神!)が、病院にかけあってくれて、なんとこの歴史ある病院始まって以降初の、’下っ端’の永住権スポンサー、を承諾してくれたのでした!!!
というわけで、
去年の1月に晴れて永住権が降りて、今は子供達の教育や、メディケアなど、就労ビザでは得られなかった行政サービスを受けられるようになり、また、働く場所の自由度も格段に広がったのでした(めでたしめでたし)。
次回最終章!
というわけで、最後の更新から5年近く空いてしまいましたが、その間も相変わらず、行き当たりばったりというか、その時その時で目の前に現れた道を歩いてきました。
SydneyからPerthへ。
小児外科から成人外科へ。
そして、Australiaを拠点にCambodiaでの活動開始。
2017年に日本を出た時には、もちろん今の自分がこんなところにいるなんて、まったく想像していませんでした。
あの時5歳と3歳だった子供たちも、14歳と12歳になりました。下の子が来年中学です。
でも振り返ってみると、一見バラバラに見えたこの9年間の出来事が、少しずつ一本の線になってきたような気がしています。
ということで、次回こそ本当に最終章です。
僕にとって、この9年間のオーストラリア生活は何だったのか。
そして、これからどこへ向かうのか。
最後にそんなことを書いて、このブログを終わりにしたいと思います。
あ、大事なこと忘れてました
この9年間で、というかこのブログのおかげで、何人もの方から連絡をいただき、僕なりにアドバイスさせていただいたり、僕より適任者を紹介させていただいたりしてきました。中にはその後オーストラリアで働き始めて、こちらで実際にお会いした先生もいらっしゃいました。
このブログは次回で一旦完結させますが、ブログへのアクセスはそのままオープンですし、僕へ個人的に連絡していただくのも今後も全く問題ありませんので、気軽にメールください。
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