外科医10年目からの海外臨床留学

グータラなのに志だけは高い小児外科医の海外臨床留学の記録です。主に気合いと乗りと運で今まで生きてきてます。臨床留学先としてのオーストラリアの紹介。英語の勉強法や影響を受けた本などの紹介もしていく予定です。好きな言葉は「大器晩成」。2児の父です。emailはtkghiramatsu@gmail.comです。

オーストラリア臨床留学への道のり② USMLEなしで臨床留学

卒後10年目からの海外臨床留学

 志だけ高いグータラ外科医

自分は、残念なことに「グータラ(流されやすい怠け者)」です。

日本にいるときは、仕事の後は、飲みにいく同僚を横目に論文執筆、などということはなく、もれなく一緒に飲みに行ってました。休日も油断するとYoutube無間地獄で1日を無駄にすることもよくあります(今でもたまに)。

 

そんなこんなで、気づいたら卒後10年以上になり、医局ではなんとなく立場が上がっていく日々。手術はまあまあできるようにはなってるけど、このままでいいの? という日々。そんな中、以前(オーストラリア臨床留学への道のり①)に書いたように、「海外臨床留学」を本気で考えるようになりました。

 

 

USMLEを受けずに海外で臨床」を求めた結果、、、

 

そう、グータラだけど志だけは高く、ということでネットで情報を集め始めました。

最初の頃によく読んでいた記事は、主にアメリカでレジデンシーやフェローとして活躍する先生方のブログなどです。多くの先生方は、「学生時代にUSMLE STEP1合格」とか、「研修医時代はとにかく暇さえあればUSMLE」とか、「海軍病院で研修」とか、読めば読むほど、すでに自分は手遅れな感じがあって、マジかよ、あちゃー、となっていました。

 

絶望感に浸ったのちに、続いて、どうにかUSMLEを受けずに海外で臨床できないか、という視点で情報を集め始めました。

 

とりあえず、いろいろな英語圏の国を一つづつ調べてみました。すると、なんとオーストラリアで、しかも小児外科で臨床フェローをやってた先生の記事に出会いました。その記事によると、オーストラリアはアメリカのUSMLEのような試験に受かってなくても日本の医師免許で臨床ができる、とのことでした。(オーストラリアで臨床をやるための条件についてはまた別で書こうと思ってます。)

 

これだー!ということで、その偉大な先駆者の先生の名前を見てみると、なんと、同じ大学の大先輩。しかも以前に面識あり!ということで、そのH先生(今でも海外で活躍中)にFacebookを通して連絡をとり始めました。

 

H先生の導き

H先生にその際頂いたアドバイスは主に3つ。

「英語をしっかりやっておけ」「とにかく臨床能力を磨いておけ」「行きたい先の先生にメール書け」

ということでした。しかも、「俺にできることならなんでもする。俺からもメール書いてあげるから。」と。

数年ぶりにいきなりFB Messengerでメールしたのに、すぐさまこんな的確なアドバイスをくださるなんて、神です。H先生。今度本人に承諾いただいたら本名出したいです!

 

そして、これだけではなく、その後もずっとH先生に導かれて、オーストラリアに行くことになります。

 

オーストラリアを目標に設定〜臨床フェロー開始まで

 

 H先生にMessengerでメールしたのが2016年1月、それからまずはIELTS の勉強を開始。

 

2016年5月 博多でH先生と再会 (日本小児外科学会、IPEG)、その際、H先生のメルボルン時代の同僚で、現Monash Children's HospitalでconsultantをやっているRam (UK出身の小児外科医)を紹介してもらう。そして、Monashでも海外からのフェローを受け入れていることを知り、今度尋ねることを約束する。

 

2017年2月 約束どおりメルボルンへ病院見学へ 

(この時にMonashの他にも、H先生が働いていたRoyal Children's Hospitalも見学)

 

この訪問では、RamがMonashのボスや他のconsultantも紹介してくれて、「来年待ってるよー」みたいな雰囲気になり、一気に盛り上がる(自分だけ)!

 

結局、ここで感触が良かったと勘違いし、浮かれていたのでそののちにガツンとやられます。

 

2017年3月 日本のボス(O教授)に、自分の計画を伝え、なんとかOKをもらう。

 

2017年8月 Monashの面接 (国内から。スカイプ面接のはずが、うまく機能せず。結局電話での面接に。電話で英語はかなりつらかったです、、、。) 

 

で、

 

2週間後、不採用通知が届く

 

と、ここでお先真っ暗になりました。

 

周りにも、「来年からメルボルン」と言ってしまっていたので、どうしよう。

うーん。調子に乗りすぎて、面接も準備不足だったか。

Ramは「残念だけど、競争率が高すぎで、引き上げられなかった」と。

ま、オブラートに包んでくれてるけど、結局は実力不足、ということ。

 

結局は、不採用通知の3ヶ月後には渡豪することになりますが、その辺については次回に書きます。

 

nomadsurgeon.hatenablog.com