外科医10年目からの海外臨床留学

グータラなのに志だけは高い小児外科医の海外臨床留学の記録です。主に気合いと乗りと運で今まで生きてきてます。臨床留学先としてのオーストラリアの紹介。英語の勉強法や影響を受けた本などの紹介もしていく予定です。好きな言葉は「大器晩成」。2児の父です。emailはtkghiramatsu@gmail.comです。

オーストラリア臨床留学への道④ ~ Being in the right place at the right time~

MPHの学生から臨床フェローへ

シドニー大学でMPHを始めたところから、1年後にシドニーの小児病院で念願の臨床フェローを始めるに至った最大のポイントは、

 

I was in the right place at the right time.

 

ということです。

 

つまり、簡単に言えば、「運が良かった」ということになります。

 

これだけではとりとめもないので、もう少し詳しく書いていこうと思います。

またもH先生の導き

2017年末に渡豪し、2018年2月からシドニー大学で学生生活をスタートさせていた僕は、以前も書いたように、次の年にメルボルンのMonash (またはRoyal Children's Hospital)で臨床フェローを始めることを目標に、まずは英語を磨きつつ、なんとか時間を見つけてメルボルンに通い、Monashのスタッフとの交流を深めて、なんとか採用してもらえるようやれることはとりあえずやっていこうと考えていました。

 

そんな時、またもボストンのH先生からメールをいただきました。

「シドニーで今年から小児外科の臨床フェローを開始した日本人の先生がいるから会ってみたら?」と。

 

なんと!はい、もちろんです!是非お会いしたい!

 

ということで、まさかこのシドニーで臨床、しかも小児外科のフェローをやっている先生がいるなんて知らなかったので、青天の霹靂でしたが、とにかく連絡を取ってお会いすることになりました。

 

S先生との出会い

S先生はこれまた独自のルートでシドニーにたどり着いた方で、非常に行動力のある先生でした。

 

日本で外科後期研修を終え、国内の小児病院で1年弱、小児外科臨床を行なった後、なんと南アフリカの病院で無給で小児外科の臨床フェローを1年間やっていました。

 

S先生が言うには、南アフリカのボスからシドニーのボスへ推薦状を送ってもらったところ、今回のシドニーのポジションが決まった、と言うことでした。

 

これはコネづくりの一つの方法だと思いますが、彼の場合は、無給で英語圏の病院で働き始め、そこからのコネで新たなポジション、もちろん有給、でゲットという道でした。

 

基礎研究からスタートしてその後そこのボスのつてで臨床へ、という話もあると思いますが、それに似たパターン、というか、とにかく最初はどんな形でも良いから臨床ポジションにつながるパイプを持っているボスの下で働く、ということだと思います。

 

とにかく、S先生を通じて、シドニーにも小児外科臨床フェローポジションがある、ということを知ったのでした。しかもS先生の話だと、とにかく規模が大きな病院で日本では考えられないような数の症例をこなしていると。

 

しかもしかも、次の年のポジションの募集がそろそろ始まる、とのこと!

まずはS先生から小児外科のボスに僕の存在を話してもらい、僕からもそのボスにメールして、まずは見学させてもらいに行きました。

 

H先生がS先生を紹介してくれていなかったら、そしてそもそも、S先生がシドニーに来ていなかったら、シドニーにも可能性があることすら知る由はなかったので、この出会いに本当に感謝でした。

 

見学から採用面接、、、結果は、、、、

 

結局、2日間だけでしたが見学に行くことができました。その時に部長のDr.Thomasと話をさせてもらい、「来年の臨床ポジションに興味がある。日本では小児外科専門医まで取っている。」ということを伝えさせてもらったところ、2週間後に面接があるから受けろ、と言ってもらえたのでした。

 

その面接は、一般公募されていたものでしたが、シドニーのあるNSW州の医療者リクルートサイト(これについては別の記事で紹介しているので参照してください)からしか募集要項にアクセスできないので、教えてもらわなければ決して知ることはなかったと思います。現に、日本にいる時に散々臨床フェローポジションを探してもシドニーにはたどり着かなかったので。。

 

 一度は落ちるも、再面接へ!

 ということで、急いでapplicationをsubmitして、2週間後、6月中旬に面接を受けました。面接自体は、まあ、手応えはあったようななかったような、と言った感じでしたあが、とりあえず結果を待つことになりました。

 

ところが、待てども暮らせども、面接の結果はきません。採用とも、不採用とも。

面接後も、毎週の勉強会に顔を出していたので、部長に思いきって聞いたところ、「いやあごめん、国内からの応募者に決まってしまったよ」と、不採用宣告を受けました。

 

ま、考えてみれば、このポジションは別にIMGs(外国人)用の枠でもないので、国内のトレイニーと競合したらそりゃ厳しいよな。と思っていると、部長からは、「人手不足だから、とりあえずもう一つフェローの枠増やそうと思ってて、あとはfundingの問題だけなんだよね。」と。要は、部長としてはもう一人フェローを取りたいが、それは病院側が給料を出してくれるかどうかにかかっていると。

 

そんな話を聞かされてはいたものの、それ以降特に進展もなく2ヶ月ほど過ぎた8月中旬、今度は「un

acredited registrar」の募集が始まりました。これは主に国内の、将来「acredited」を目指している人たちのためのポジションですが(ポジションの詳しい説明は過去記事参照)、なんとかポジションを取りたいという一心で、自分も応募を出しました。

 

ついに臨床フェローのオファーをゲット!

2回目の面接の際に、部長のDr.Thomasからは、「修士課程はいつ終わるの?いつから働けるの?」などの、採用に前向きとも取れる質問もあり、それに対して「12月くらいからは働けます」と答えた時の反応も、かなり良い感じだったので、今回は期待は持てるかな、という感じもありましたが、1年前のMonashの時を思い出し、決して期待しすぎず結果を待っていました。

 

すると、忘れもしない2018年8月28日の夕方。図書館で勉強中に1通のメールが。

実際のメールの一部が下の写真です。

 

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このメールを受け取った時、海外での臨床ポジションを目指してきたこれまでの3年間のことが走馬灯のように蘇ったのを覚えています。

 

結局は最初に応募したポジションで採用されたのでした。Fundingが確保され、一つ増えたフェローポジションに滑り込んだ形でした。

 

とにかく嬉しくて、妻や母、H先生ほか、それまでにお世話になってきた方々に片っ端から連絡しまくったのを今でも鮮明に覚えています。

 

運を掴むためにはそこにいなければならない

 

ま、突き詰めると「運が良かった」ということなのです。同じような趣旨を英語で言ったのが

 

Being in the right place at the right time.

 

なのです。

 

これは先日上司と話していて、彼が以前アメリカへSurgical  oncology を学びに言った時に、いろいろトラブルがあった末に、当初予定していなかった、もっとより良いポジションに入ることができて、そこで大きな経験を積むことができた、という話をしていた時に使っていた言葉です。

 

僕はこの言葉を聞いた時に、そこには「運」以上の意味があると感じました。

 

自分自身の経験を合わせて考えると、H先生がS先生を知っていたこと、そしてS先生を自分に紹介してくれたこと、そしてそもそもS先生が同じタイミングでシドニーにいたこと、など、運が重なったわけですが、でも自分がその時シドニーにいたのでこれらの点が線となり、臨床ポジションにつながったのです。自分が見切り発車で渡豪していなければ、何も起きなかったのです。

 

しかも、たまたま部署が人手不足で、正規の開始時期(2月)よりも早く働き始められる人を探していたタイミングで、大学院が11月に終わり次第働ける、という、いわば「そこにいたこと」のアドバンテージが採用に大きく影響を与えたのは明らかでした。

 

ちなみに、医師登録に異常に時間がかかり、結局働き始めたのは正規の開始日のほんの10日前のことでしたが、、、。

 

それはさておき、

 

まず行動を起こすこと、常に目標に向かって諦めずに前に進むこと、それによって、ある時ふと、巡り合わせのように不思議な出会いが訪れる。まあそもそも運というのは、引き寄せるものなのかもしれない、と、そんなことを考え始めたのはこのころからでした。

 

 

 

目標達成は出発点

そんなわけで、「海外臨床留学」を目標に設定してから3年余り、色々ありながらも、日本を出る頃には予想もしていなかったシドニーという地でポジションゲットに至ったわけでした。

 

目標達成といっても、これから臨床フェローとして何を学ぶか、が重要なわけで、そしてできれば2年、3年と残れるように、しっかりと働かなければならないので、「やっと出発点に立てた」という思いの方が強かったように思います。

 

「オーストラリア臨床留学への道」ということで4回に渡り経緯を書いてきましたが、これから臨床留学を考えている人の役に少しでも役に立てたら幸いです。